うめざきぃ〜、入った日に辞める話するなよ(笑)

自分の手で作る循環する暮らしで
わが家の自給率をアップしよう!

風と土の自然学校 梅崎靖志です。

 

いまは、
「わが家の自給率アップ」をテーマに
仕事をしている僕ですが、

大学生の頃は、こういうことが仕事になると
思われていなかった時代です。

前回の記事は、

大学4年生の時、ゼミの先生との
進路相談で、
無謀とも言える進路希望を伝えたとき、

梅崎くん、海のものとも山のものともつかない
環境教育で、食べていけるのかい?

と、本気で心配された話しを書きました。

こちらをクリックすると、前回の記事に飛びます。

僕がなぜ、主に大人を対象に、
自然農とパーマカルチャーをテーマにした
風と土の自然学校をしているのか?

根っこの部分を数回に分けて、
ご紹介する第2弾、はじまりはじまり〜

目次

清里でのボランティアから始まった

環境教育に関わる活動をしている

人達が全国から集まる

「清里環境教育フォーラム」が

山梨県清里の清泉寮を会場に

毎年開催されていました。

 

僕が、学生ボランティアとして

参加したのは、第5回。

 

ちなみに、

清里環境教育フォーラムは、

第1回を始める時に、

「まず5回開催して、その成果を
書籍としてまとめよう」

ということを目標にしていたとのこと。

 

実際、成果をとりまとめて、

『日本型環境教育の「提案」』(小学館)
という書籍として、出版されています。

 

このフォーラムで、環境教育を専門としている

大学の先生と出会います。

当時、先生は埼玉大学にいらしたので、

埼玉に足を運び、

授業を見学させていただいたり、

ゼミの学生さんたちと交流したり

しました。

 

当時、環境教育に関わる仕事なんて

ほとんどありません。

 

でも、どうしても環境教育に関わる

仕事をしたかった僕は、

埼玉大学の大学院に進学することを

考えていました。

 

要するに、仕事が見つかるまでの

時間稼ぎです(笑)

 

いまならわかるけど、

2年や3年、時間を稼いだところで、

新しい分野の仕事なんて簡単にできるわけが

ありません。

 

ほんと、当時の僕のプランは、

楽観的すぎて開いた口がふさがらない(笑)

 

大学院、入れないかもよ・・・

さて、当時の僕が通っていたのは、

農学部森林科学科というところでした。

 

で、進学しようと考えていたのは教育学部。

つまり、全然、畑が違うわけ。

 

 

教職の単位もろくに取っていなかったので、

先生からは、合格は難しいかもしれないと

いわれていました。

 

それで、先生のゼミの大学院生の先輩から、

このあたりの勉強しておくといいかもよ〜

と教えてもらったものの、

どんな試験が出るかもわからない・・・。

 

なんだかんだで時は過ぎ、

同級生たちは就職先が決まり始めた頃。

 

僕は、大学院の高〜い受験料を振り込み、

国立大学なのに、受験料2万円もしたんです!

 

それを振り込んだわけだから、

受験する氣、満々でした。

 

そして、もしかしたら合格しちゃうかも。

と、まあ楽観的にもほどがあるだろう、

というぐらい、ワクワクしていたんです。

 

ところが、受験することはありませんでした。

 

そのきっかけは、進学先として考えていた

先生からの電話です。

 

 

大学院の受験を辞めたわけ

「梅崎くん、茨城県にある○○自然観察の森って知ってる?」

それは、環境庁(当時)の補助事業で、

全国10カ所に整備された環境教育施設のひとつでした。

 

当時の僕は、

その施設施設のことも知らなかったし、

そもそも茨城県に、足を踏み入れたことも

ありませんでした。

 

「実は、そこで植物がわかる人を

探してるんだけど、受けてみない?」

 

「えっ!?受けます!」

 

それ、環境教育の仕事じゃないですか〜

とは、心の声。

 

環境教育の仕事ができるなら、

大学院、行く必要ないじゃんね。

 

 

その施設は当時、市役所直営だったので、

そこで仕事をするには、

地方公務員試験を受けなくてはなりません。

 

そこで、公務員志望の同級生から、

何を勉強すればいいか聞いて、

急いで公務員試験の受験勉強(笑)

 

そして、試験当日も、

電車の中で公務員志望のゼミ仲間からもらった

想定問題集のコピーを見ながら会場へ。

 

で、受験して、結果は・・・

 

 

無事、合格。

「やったー、環境教育の仕事ができる!」

 

とはいえ、就職先は、市役所なので、

当然、異動があります。

 

だから、ずっと環境教育の現場に

関わることは難しいだろうということも

予想していました。

 

それに、当時から、

将来は独立して、

自分で環境教育の仕事をしたい。

と、そんな風に思っていたんです。

 

こんなふうに、先のことは

いろいろわからないことばかりだけど、

まずはここで、

あこがれの環境教育を仕事にできる!

 

そんなうれしい氣持ちでいっぱいでした。

 

当時の同期の仲間と
(の写真ではありません、あくまでイメージ😂)

 

うめざきぃ〜、入った日に辞める話するなよ(笑)

で、いよいよ初めての出勤日。

辞令交付のあと、新人研修があり、

職員組合からは、福利厚生や

財形貯蓄などの説明もありました。

 

職員団体の活動をしている

僕と同じ課の先輩も同席して、

親切にいろいろと説明してくれたんです。

 

なるほど、財形貯蓄をすると、

給料天引きで、貯金ができるのか、とか。

 

学生時代には縁のなかった貯蓄の話しを

聞きながら、社会人になったんだなぁと。

 

将来は独立したいと思っているから、

そもそも、役所に定年までいるつもりはありません。

 

「あー社会のしくみは、そうなっているのか」

勉強になるなぁ、と。

 

そう思うのと同時に、

どうしても気になることが出てきました。

 

 

で、最後に聞かれたんです。

「何か質問はありますか?」

 

そこですかさず、

「あのー、辞めた場合ってどうなりますか?」

 

は・・・?

 

「うめざきぃ〜、入った日に辞める話するなよ(笑)」

 

まあ、いま思えば、もうちょっと空気読めって話しです。

 

結局、市役所直営のその施設では、

4年間お世話になって、

その後のキャリアの基礎となることを

たくさん学ばせていただきました。

 

植物のこと、野鳥のこと、

両生は虫類から哺乳類までの里の動物のこと、

縄のない方、タケノコの掘り方、
刈り払い機の使い方

環境教育施設の運営管理、

ボランティア活動のマネジメント、

植物や生き物の写真の撮り方などなど・・・

 

こうした経験をした上で、

環境教育施設の調査や計画をする

民間のコンサルタント会社へ

転職をすることになります。

 

実は、その転職先の会社のボスは、

僕がボランティアとして参加した

「清里環境教育フォーラム」の

中心メンバーの一人で、

 

いつか、あの会社で仕事をしてみたい、

と思う憧れの職場でした。

 

 

その転職先で担当した業務が、

僕の人生を大きく変えるきっかけとなったのです。

 

 

次回に続く・・・

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