こんにちは、風と土の自然学校 梅崎靖志です。
大学3年生の秋。
「言葉を尽くせば、コミュニケーションはうまくいく」
そう思っていた僕には、衝撃的な出来事がありました。
言葉を超えるコミュニケーション
それは、吹奏楽部の定期演奏会の仕上げに向けた合奏練習でした。
僕の担当は、クラリネット。メインの曲でソロもありました。
まとまりのある演奏で、いい感じで練習が進みます。
「もうすぐソロだ。大丈夫だろうか?」
「うまくできなかったらどうしよう・・・」
僕の中で、こんな不安がよぎり、
心臓がドキドキし始め、だんだん緊張が高まってきます・・・。
そして、自分のソロ。
出だしは好調。
ところが、すぐにつっかえて止まってしまいます。
もう一度やり直し。
また、止まってしまう・・・。
クラリネットは最前列。
だけど、後ろからの視線が背中に刺さってイタイ。
「あーあ、何やってるんだ!」
そんな声が聞こえてきそう。
結局、その日の練習は、僕のパートをのぞいて終了。
「ああ、なんでもっと練習しなかったんだろう・・・」
「ソロのパートだけでも、昨日もっとしっかりやればよかった・・・」
「みんなに迷惑をかけて、申し訳ないなぁ」
練習が終わり、電気の消えた廊下のベンチにポツンと一人ですわる。
夕方の薄暗い中、
うなだれ、さまざまな思いが、悔し涙とともにわき上がってきます。
しばらくすると、誰かがそっと隣に座る気配。
フルートの後輩でした。
何も言わずに、じっと、ただ座っているだけ。
それなのに、
落ち込んでいる僕に寄り添ってくれていること、
一緒に悔しさを感じてくれていること、
そして、「大丈夫ですよ」と励ましてくれていること。
何も言わないのに、いろいろなことが伝わってきました。
はげましに必要なのは言葉じゃなかった・・・
「なにかを伝えるには、言葉を尽くせばいい」
そんな風に思っていた当時の僕には、
「はげましに言葉はいらない」という事実は、衝撃的でした。
自分を理解してくれて、共にいてくれる存在。
それが、いかに大きな勇氣づけになるのか、教えてもらいました。
理解してくれる人がいるということは、それだけで本当に心強いことです。
弱い立場にある人たちはもちろん、自然や動物たちの立場に立つこと。
そこに思い寄せ、共にあること。
こうした思いを同じくする人がつながれば、大きな力になるのではないか。
そんな風に思うんです。
たとえば、
原発のこと、沖縄の基地のこと、リニアの工事のこと、貧困のこと、児童虐待のこと・・・。
直接、自分に関係なければ、見過ごしてしまうかもしれません。
今すぐには、自分にできることが見つからないかもしれません。
でも、声なき声に耳を傾けること、そして、共にあること。
このことが、大きな力になると思うんです。
一つひとつは、別々に見えるけど、根っこはみんなつながっているはず。
だからまず、声なき声に耳を傾け、寄り添ってみる。
自分と異なるさまざまな立場に、思いを寄せる。
「自分と関係ない」と思う前に、ちょっとだけ相手の立場で、世界を見てみる。
こうした積み重ねがあれば、今よりちょっとだけ、世界があたたかくなるはずだし、
その先には、多様な人や生き物が共存できる、持続可能な社会があると思うんです。
大学時代の合奏練習での悔しい体験は、心の声に耳を傾ける大切さを僕に教えてくれました。
相手と共にあるコミュニケーション
相手が、感じていることをうまく言葉にできないとき、
相手の立場に立って、その氣持ちを想像してみる。
そして、一緒に感じてみる。
また、自分と異なる意見と出会ったとき、
相手がなぜそう思うのかに関心を持って、相手の立場を理解しようとする。
同意しなくていいから、ただ、「そういう風に考えてるのね」と受け止めてみる。
自分と違うな、と思っても、
話すのをあきらめるのではなく、
議論して論破しようとするのでもなく、
ただ、相手の心の声に耳を傾けてみる。
すると、相手との距離が少し縮まります。
こうしたことの積み重ねが、異なる立場の理解につながります。
そして、それぞれの違いを認め合うことにつながるでしょう。
違いを認め合うということは、
つまり、多様性をそのまま受容するということ。
一つひとつは小さなことだけど、多くの人がこういう意識を持つことが、
平和で持続可能な社会につながるに違いありません。
「この人とはコミュニケーションが難しいな」
そう思ったときこそ、相手の立場に目線を移し、心の声に耳を傾けてみる。
すると、いつもとは違う世界が見えてくるに違いありません。